糞な気分

目標を持って生活してないと、ふとした瞬間ドーーーンって壁を殴りたくなりませんか。
もちろん、目標を持って生活をしたことがないので、上の文章の信ぴょう性は薄いです。
独りでいる時間が長くなれば長くなるほど、全部どうでも良くなる。
あくまで気分の話です。

メンドクサイが合言葉のクズ人間業界ですが、みんな死なずにいる。
とにかく「今・ここ」最優先。
そうとしか思えない。ふつうの時間観との齟齬を感じる。
とりあえず死=無・終わりの世界には生きていない。
明日の自分(1分後でも1時間後でもよく、とにかく今以降の自分)が行うことを「今」の自分が決める、ということをしていない。ふつうの人から見たらそれはダメダメなことで、明日の予定も分からないヒトと仕事はできないので社会生活に適合できないわけだからめでたく病気扱いになるはず。
でも「それなんとかって病気だよ」と言われてもキョトンとした表情で「だからなに?」と言う。
大体、物体のある傾向に名前を付けて説明されても「そうですか」という反応しか返ってこない。
病気(あるいは異常)という自分があずかり知らない場所でできた造語の意味をうまく掴んでいない。
というかあらゆる言葉に意味を求めていないのかな。
発せられたまとまった音声情報をマイナスの意味にもプラスの意味にも取らない。
自分の、誰かの、特定の状態を特別視しない。当然「ちゃんと」「普通に」にも価値を見いだせない。まとまったり、単純化したり、あるいは複雑化できない。
世界を丸ごと受け入れている。無理やり言えばそんな感じ。
どんなに環境が変わっても、コップに入れられた水のように、それがあたりまえかのように変化する。
観て取る場面により、こだわりがないように見えるし、どこかに向かっているようにも見える。
あらゆることを言語化しない。意味も、理由も、動機も語らない。求められても「分からない」としか言わない。
5年間バカみたいに飯を食いながらほとんど部屋からでなかったと思えば、2年間行方不明になり、3年間で億万長者になったと思ったら、4年間ろくに飯も食わず引きこもる。それぞれの期間、5か月間(5日間)バカみたいに飯を食いながらほとんど部屋からでなかったと思えば、2か月(2日間)行方不明になり、3か月(3日間)で億万長者になったと思ったら、4か月(4日間)ろくに飯も食わず引きこもる。それぞれの日、5時間(5分間)バカみたいに飯を食いながらほとんど部屋からでなかったと思えば、2時間(2分間)行方不明になり、3時間(2分間)で億万長者になったと思ったら、4時間(4分間)ろくに飯も食わず引きこもる。
みたいなノリだ。
「いつ死んでもいいの?」と問えば、
分からない、知らないと言う。
ただ、その疑問がクダラナイとも一切言わない。
価値判断をしない。自らの感情を自ら決めないor決められない。
結局、一見「ふつう」に飄々と社会生活を送っているので、実際には病気扱いされていない。
もちろん、生きていくために最低限必要な動作は徹底して体に染み込まされている。
なぜか「何をしようかな?」という疑問が徹底的に排除されている。
どこまでも動物的であり、観ていて美しいと私は思う。
そして出力されるシゴトは創造的だと認められることも多い。
このあり方はどうやって作られた、作ったんだろう。
どこまでが意識的で、どこまでが無意識なのかなど本人にも分からないし、どうでもいいようだ。