ミスト

ティーブンキング原作、フランクダラボン脚本・監督の映画ミスト The Mistを見た。
"見終わった後、誰を想い何を思うか"
と問われていたので日記に。

まずわーっと思ったことを書こう。
悲しい。鬱エンドっていうか衝撃のラスト15分の看板に偽りはなかった。
「あの化け物に僕を殺させないで」という一番の約束は確かに守られたけども。
けども、もうちょい待てなかったかね…。せめて餓死寸前まで。いやせめて奴らに殺されるのが確定するまで…。うう。
でもあんなドでかい奴見せられた後じゃ、さすがの主人公の心も折れてたんだろうな。最後の慟哭がズンと来た。
ていうかカルトのおばさんがいなければ…てかなんで無視せーへんねん。日本やったら家族か仲良い友人以外の狂ってる奴ってまともに相手しないで目も合わせず無視→無言のまま腕力とシステムで隔離がデフォやからそう思うんだろう。つっても神という共有概念が潜在的にある文化圏であんな状態になればきっかけ一つであれに似たような原始的な集団心理は働いてしまうのか。あるいは俺が世間知らずなだけでああいう振る舞いは至る所で起ってるんやろか。見えないだけでそうかもしれんな。
カルトのクソばばあが居なかったとして、食料豊富なあの場所でなら耐えてられたんだろうか。最初に出てったおばはんが助かってる当たり、そう遠くない場所まで救助の手は来てたとも考えられるし、なんともやりきれん。
設定のおかしさに突っ込んでもしょうがないのは分かってるけど、突っ込みたくなるほどのめり込んで見れた。創作物に身も蓋もないなんでこうせーへんねん!というつっこみはいくらでも可能なんやけど、すっと世界観に入っていけたということはそのまま舞台設定・演技演出の巧みさで良い映画の醍醐味だ。

一呼吸置いて。
狂った世界で理に頼りたくなるのは現実も変わらん。
そして理に依って動いて最善の結果が出るかは不確実なのも同じ。
理もまた移り変わるし、翻って映画の帰結を良しとすることも不合理ではない。生き残ったのだから、あるいは残った人々は駆逐されているかもしれないから。
行動の正しさを予め見積もり切ることはできない。
だったら理性を捨ててその都度の感情に身を任せて刹那の快楽を味わっていつでも死んでもいいと開き直ることもできる。
だが真に生き死にの切迫した場面でどう振舞うかが想定し得ないからこそ、不安という感情は残り続ける。思ったように生きているつもりでも。
あるがまま世界を見ることは恐ろしいことだ。
ちっぽけな見栄やプライドが如何に大事なものか。

宇宙戦争が起こったら人類は一つにまとまるという。
明確な外敵が存在して初めて一致団結できるんだと。
だけどこの映画を見る限り、それすらも夢想かもと思う。
不可能だけど不可避な約束事の如何に遠いことか。
狂ってしまっている方が誠実なのは皆もう分かってる。
どっちが狂ってるかはもう実感してるけど、この理性ってやつはなかなかどうして手ごわいな。
主人公が狂ってしまわれることに悲しさと少しの嫉妬を覚えた。